平成28年の現在でさえ、この裏話は衝撃を持っているのではないでしょうか?![]()
大本の教祖、出口王仁三郎がその霊覚で悟った歴史上の真実です。
では紹介します。(ちょっと長文ですがおつきあいください)。![]()
千の利休と云う人は明智光秀の成れの果てである。明智光秀は山崎の一戦に脆くも敗れて(やぶれて)、遂に名もなき一土兵の為に
竹槍にてつき殺されたと、歴史に傳えられてあるがあれは嘘である。天王山の一戦で勝敗の決することは、初めからよく承知しておったが光秀は将士の度々の迎えをうけながら、態(わざ)とグズグズして居て、遂に勝ちを秀吉に譲ったのである。実は疾くに(とくに)光秀と秀吉との間には妥協が成立して居たのである。聡明なる光秀は、たとへ如何なる事情があったにせよ、いったん主殺しの汚名を着たものが、天下の將軍となっても永続きがせぬと云う事をよく承知して居て秀吉に勝ちを譲ったのである。そして彼は頭を丸めてお茶坊主となり、萩の枝折戸(しおりど)四畳半の中にあって、天下の大事を論じ、謀(はかりごと)を廻らして(めぐらして)秀吉を太閤の地位迄押しのぼして仕舞ったのである。彼は実に秀吉の好参謀であったのである。朝鮮征伐なども、彼の献策に出たものである。茶室に這入るには丸腰となってにじり口より入(い)らねばならぬ。元亀天正時代の荒武者を制御操縦するに、もってこいの場所方法であった。第一秘密を保つに絶好であった。後(のち)彼は娘の美貌が禍いの因をなして自殺を余儀なくせしめられたと、世に傳えられて居るが、全く跡形もない事である。英雄、英雄を知る諸般機微の消息は俗人にはわからぬ。
筆者【大本幹部、加藤明子(はるこ)】がこのお話を伺って、或る時の事二三の方々にお話して居りました。偶々(たまたま)座に岡山の大田栄子婦人が居られて、この話を裏書する面白い物語をせられましたので、下に紹介します。
大田夫人は、大正九年の頃、聖師様(出口王仁三郎のこと)から、『千利休は明智光秀である』と云う事を承って、それを師匠(お茶の先生)の名倉某氏に話されたそうです。そうすると名倉氏はそれを又家元(当時第十三代圓能齋氏)に話されました。すると圓能齋氏の顔色がサッと変わって暫くは物も云われれなかったそうですが、太い吐息と共に口を突いて出た言葉は『まあどうしてそれが分ったのですか』と云う事であったと云う事です。そして、更に語をついで、『その事こそ、千家に傳わる、一子相伝の大秘密であって、後を嗣ぐ長男のみが知って、次から次へと言い伝え語りつぎて、世に知るものが絶えて無い筈です。どうしてそれが分ったのでしょう』と聞くので、名倉氏は『霊覚によって分ったのです。丹波の国綾部町に、大神通力を供えた聖者がありましてその人の霊覚によって、其の秘事が分って来たのです』とて、聖師様に関するお話をせられました。圓能齋氏はいたく驚き且つ感じ入り、遂に執事を派して綾部に参拝せしめ、次いで自らも亦参拝せられたそうですが、深くこの事を秘して人に語らなかった。名倉氏もまた秘して仕舞ったのですが、不思議なことには三人が三人共、相前後して同じ心臓病の為め倒れて仕舞ったそうです。
大田夫人は『これは秘してはならぬと思い、皆さんにお話して居ります』と語られました。一座のものは是を聞いて、今更の如く驚き、聖師様の讃え盡(つく)せぬ御霊覚の程を感じ入りました。そして聖師様がもし、この霊覚によって訂正さるるならば、世界の歴史も随分変わってくるかも知れないと思いました。
以上です。ずいぶん衝撃的でしょう!NHKの大河ドラマでなかなか明智光秀をやらないのは、この裏話を案外知っている人たちがいたりして、大河ドラマにしにくいのではないかと思ったりします。(父は、主人殺しは大河ドラマにしくいと言っていたが)。![]()
↑これがそのことの載っている「水鏡」という本です。みいづ舎という出版社から(1500円+税)で売っています。![]()
また、バルチック艦隊を全滅させた司馬遼太郎の『坂の上の雲』に出てくる、秋山真之(さねゆき)海軍少将は、撃沈できたのは大本の霊的加護のおかげだといって大本に入信しています。司馬遼太郎はそのことを知っていて、秋山のことを小説に書くとき、出口王仁三郎に面会し、取材していますが、「坂の上の雲」には大本のことは一切出てきません。それほど、宗教というのは、扱いにくいのでしょう。いつか、宗教の世間的偏見が解けることを祈っています。
