ジャーニー・ホーム -24ページ目

ジャーニー・ホーム

ハイヤーセルフのユニコーンペガサスと、おじいと、あといろいろとスピリチュアルの旅の記録

こんばんは。

 

 

また今日もちょっとした昔話です。

探索にも少し関係ありそうなエピソードがあったので書いてみようと思います。

 

 

当時25歳ぐらいだったと思いますが、務めていた会社で飲み会がありました。

今は飲まないのですが当時は飲んでいて、しかもそのころ付き合ってた彼女に振られたばかりの頃だったので、ヤケ酒をしてしまって急性アルコール中毒で病院に運ばれました。

焼酎のロックを七杯くらい一気したらしいです(先輩談。)

 

 

目を覚ますと点滴を打たれていたのですが、すごくトイレに行きたくなって誰もいなかったので、一人で起きようとしたのですが、右手に邪魔なものが付いていたので、少し動かしたら外れて、特に何も気にせず意識が朦朧とした状態でトイレを探しました。

 

腕から何か滴っているので見ると、点滴が外れたところから血が流れでてポタポタ床に落ちていました。

それどころじゃない、トイレのほうが大事なので、壁にすがった状態で視界も良くわからないままトイレを探していると、会社の人たちに見つかって騒ぎになりました。

そりゃあ端からみたらすごい状態です。ホラーです。ゾンビです。

このとき血だらけで病院を徘徊するという伝説を作りました。

 

 

ご安心下さい。トイレはなんとか出来ました。

まともに立てないので、ガタイのいい先輩に後ろから羽交い締めにされた情けない状態で(笑)

 

そこからまた記憶がなくなって、気づいたら車の中でした。

ある程度意識が戻ってきていたので、それで無事に家に送ってもらいました。

 

 

問題は車の中での事です。

僕の意識のはっきりしないのをいいことに、先輩たちは僕にいろいろ質問などをしていたらしいのですが、当たり前意識がないのでどの言葉にも答えなかったそうです。ただ一つの言葉を除いては。

 

どんな言葉かと言うと、

 

「妹紹介してくれよ」

という言葉です。

 

それに対してだけ、

「ダメです」

とはっきり言ったらしいのです。

 

 

もちろん僕はまったく覚えていません。

無意識で答えたのでしょう。

 

 

不思議な出来事ですねぇ。

自分の意志に反して?言葉を喋るってどういうことなんでしょう。

普段から妹を紹介するということに対して抵抗があるという意識はありませんでしたが、潜在意識では本当は抵抗があるのかもしれません。ちゃんとした人と出会って欲しいとは思いますが。

無意識では、本当に思っていることが露わになるのでしょうかね。

 

 

これも、以前紹介したデニーズとブルースの会話と同じことだと思うのですが、一つだけ異なっているのは、僕の場合は物質界で会話したということですね。

 

 

一体どうしてこういうことが起こるんでしょう。

一体自分のどの部分が喋ったんでしょう。

なぜ喋ったのを自分は覚えていないんでしょう。

夢の内容とか、夢では体外離脱しているとか、クリックアウト中とか、自分のことなのに自分が覚えていないことがあるというのはどうも納得がいきませんね。

 

この辺りも探索のテーマにしないといけませんね。

課題は山積みですぼけー

 

 

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いつもありがとうございます。

 

こんばんは。

また少し昨日の続きになるのですが、亡くなった人が送ってくる”徴”について、自分の場合はどうだったのかと思ったので、母親が亡くなったときのことを書いてみようと思います。

 

 

 

ある朝、兄の部屋から電話で話す声が聞こえました。私は眠りが浅いのか、そういう物音や声ですぐに目を覚ますタイプなのです。

 

「そうですか、すぐ行きます!」

というような兄の声が聞こえました。

 

既に先生から覚悟しておいてくださいというようなことを言われていたので、ある程度の覚悟はできていたと思います。

 

(ああ、とうとうこの日が来てしまったのか・・・)

そんなことを考えていたのを覚えています。

 

 

案の定、兄が私の部屋に来てこう言いました。

「母さんの呼吸が止まったらしい、すぐ行くぞ!」

 

既に理解していた私は、そこまで驚くこともなく

「わかった」

と答えました。

 

 

準備をして一階に降りると、妹が泣いていました。

「大丈夫」

と根拠の無いことを言って慰めましたが、わたしも心臓がバクバクいっていたと思います。

なんせ26の小僧です。兄ですら27。妹は24です。両親は離婚していました。

こんな子どもに一体どんな覚悟が出来るって言うんでしょう。

自分たちが如何に無力かを思い知らされました。

 

 

すぐに3人で家を出ました。

 

 

病院に着くと、先生が心臓マッサージをしていました。

わたしたちは黙ってみているしかありません。

 

 

ただ横たわって身体を揺さぶられるだけの母親の姿を見て、

 

(母さんの選択を尊重しよう)

 

と思いました。

当時は母親をなんとか救う方法はないかと思って、スピリチュアルの本を読み漁っていました。

その中で学んだことの一つとして、

「不幸で死ぬ人はいない。みんな自分で死を選択している」

というものがあり、受け入れるのは難しかったのですが、概念としては理解していたので、母親が選んだ死を尊重すべきだと思いました。

既に長い間、心臓マッサージをされており、先生も「これ以上はお母さんを苦しめるだけだと思います」と言われていたので、そうかもしれないと思いました。

 

 

わたしたちは同意し、母親の死を受け入れました。

 

 

それからは、悲しむ間もなく、葬儀の準備などを子どもたちだけでしなければならなくて、慌ただしい時間をすごしました。

と言ってもほとんど兄がやってくれたのですが。本当に頼りになる兄です。

 

私はというと、当時ブラックな企業に務めていて、朝8:30出勤、夜0:00帰宅、休みは日曜の午前中のみという状況で、こんな時ですら一日しか休めませんでした。

寝不足だったので、うとうとしてしまって、目を覚ました時に夢だったらどんなに良かったかと思いました。

 

 

このとき借りていた家は子ども3人には広すぎたし、誰も家事に慣れていなかったので揉めることもあって、結局バラバラで暮らすのが一番だという結論になりました。

僕は3人で協力して暮らすのがいいのではないかという考えもありましたが、結果的には兄の言うとおりこっちのほうが良かったと思います。

今では、一緒に暮らして居た時よりも良好な関係を築けています。

 

 

 

昔話は端折っても長くなりますねぇ。

そして、”徴”のことですが、それは夢という形であらわれました。

最近夢のことを書かれている方が多いので、ちょうどいいですね(笑)

 

 

母が亡くなって一ヶ月ちょっとだったと思いますが、夢を見ました。

私の部屋の北にある小さい窓から、やわらかな光が差し込んでいました。

 

母がそこにいました。

私は母に抱きつきました。子どもの頃のように。

そして、言われました。

 

「激しい人生を生きなさい」

 

私は、”苦しくても実りある人生を生きなさい”という意味だと受け取りました。

母が言ったことはそれだけでした。

 

明晰夢とまではいかないですが、リアルだと感じた夢でした。

なので、私はそれを母の”徴”だと思っています。

 

 

夢はそれだけではなく、時々見ました。

不思議な事に、見るのは私だけで兄や妹は見ないそうです。

兄はスピリチュアルなことに少々懐疑的な部分があり、妹は受け入れていますが、何らかのブロックがあるのかもしれません。

 

その見る夢ですが、大体毎回同じ夢を見ます。

どんな夢かと言うと、

 

母親の病気が治って、またみんなで楽しく暮らせるのを喜んでいる

 

という夢です。

 

 

これは未だに見ます。つい最近も見ました。

これを見る意味について、私は自分のそういう願望が表れているのだと思っていました。

もうすぐ7年になるというのに、まだ自分の中にそんな想いがあるのかと思っていました。

 

 

ですが、昨日の「神との対話」の文を読んで、もしかしたら違うんじゃないかという想いが湧いてきました。

 

もしかして、母が

 

「私は大丈夫。元気でやっているよ」

 

ということを伝えようとしているのではないかと。

 

これは”徴”なのではないかと思いました。

 

 

 

母は未だにこうやって気づきをくれるんですねぇ。

まったく私はまだまだ手のかかる息子というわけです(苦笑)

 

 

 

 

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こんばんは。

 

少し昨日の続きになるのですが、好きな本というのが「神との対話」でして、その言葉を見返したら気になったことがありました。一部抜粋します。

 

星を見上げるとき、その星は何百光年、何千光年、何百万光年も昔の星だ。

いま見ている星は、現在ある星ではない。昔の星なんだよ。過去を見ているのだ。その過去に、あなたがたは参加していた

 

あなたがたはそこにいて、行動し、経験していた

「神との対話3」 P.553より 一部抜粋

 

 

 

地球外の過去世を探求するヒントはここにあるのかもしれないと思いました。

星を見ているとき、過去自分が居た星が見えるということなので、懐かしいような、何か思い出しそうな感じがするのかもしれませんね。

 

ちなみにこの対話の中で、「その何百光年先に行けるようになったとしたら、過去の自分に会えるのか?」という質問に対し、「もちろんだよ!時は存在せず過去も存在しないのだから」という答えでした。

 

 

この抜粋を探しているときに、「死者との対話について」書いてあったのでついでに抜粋します。わたしたちにとっては身近なテーマだと思いますので。

 

 

「死者と話したいと(超能力者に)頼むのはかまわないんですか?「先に逝った」ひとたちと接触しようとしても、いいんでしょうか?」

 

『どうして、そうしたい?』

 

「何か、わたしたちに言いたいことがあるかもしれないからです」

 

『「向こう側」にいる誰かが何かを知らせたいと考えれば、必ず方法を見つける。だから、心配しなくていい。「先に逝った」おじ、おば、いとこ、兄弟、姉妹、父母、配偶者、恋人、みんなそれぞれの旅を続け、完全な喜びを経験し、完全な理解をめざして進んでいる。

彼らが――あなたがどうしているか見たい、彼らが元気でいると知らせたいと――あなたのもとへもどりたくなれば、ちゃんと戻ってくるからだいじょうぶ。だから、「徴(しるし)」に気をつけて、受けとめなさい。気のせいだ、「希望的観測」だ、偶然だと切り捨てたりしないこと』

 

「知りあいの女性が、瀕死の夫を看病しているとき、こう頼んだそうです。どうしても逝ってしまうのなら、お願いだから帰ってきて、だいじょうぶだよと知らせてね・・・・・・。

夫はそうすると約束し、二日後に亡くなりました。それから一週間もしないある夜、目覚めた彼女は、誰かがベッドの自分のそばに座っていると感じたんです。目を開けてみると、誓ってもいい、そこに夫がいたと言うんですよ。ベッドの足もとのほうに座って、微笑みかけていたそうです。でも、またたきしてもう一度見ると、夫は消えていた。あとになってその話をした彼女は、きっと幻覚を見たのね、と言っていました」

 

『そう、よくあることだ。反論しようのない、はっきりとした徴を受けとっているのに、無視してしまう。あるいは、気のせいだ、幻だと切り捨ててしまう。この本についても同じことだよ。

イエスの復活を疑ったトマスと同じで、見て、感じて、触れなければ、信じようとしない。だが、あなたがたが知りたいことは、見ることも感じることも触れることもできない。べつの領域のことがらだから。あなたがたは、そこに向かって開かれていない。まだ、用意ができていない。だが、焦らなくていい。生徒の準備ができたとき、教師が現れるのだから』

 

「神との対話3」 P.200~より抜粋

 

 

僕も母を亡くした時にこの言葉に救われたことがありましたね。

この本には他にも「亡くなった人は常にメッセージを送ろうとしているが、本人はそれに気づかない」とか「そういうメッセージは本の中や、ふとその人を思い出すときなどに伝えられる」というようなことが書いてあったと思います。探索のヒントになりそうなこともたくさん書いてありますね。

 

有名な本なので、読まれた方は多いと思いますが、読み返すとまだまだ気づきは出てくると思います。読んだ事ない方は是非おすすめします。

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神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)

 

 

 

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