源はどこか | ジャーニー・ホーム

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ハイヤーセルフのユニコーンペガサスと、おじいと、あといろいろとスピリチュアルの旅の記録

ある日こういうことを考えていました。

 

2/17

(もし、ある人の過去世が通行人Aや村人Aなんかしかなかったとして、ジャンヌ・ダルクなんかの英雄だと勘違いしてみたらどうなるんだろう。その人の人生が変わってしまうのかな・・・?)

 

そうすると、声が聞こえてきました。(たぶんハイヤーセルフ)

 

『大いなる視点から見るとジャンヌ・ダルクなどの英雄ではないというとはありえない。私たちは全ての存在を経験している。モンローの言うディスクの奥のさらに奥深くを辿ると、全ての存在はひとつのディスクなのだよ。
それにジャンヌ・ダルクだと思い込むというのが、創造主が予期できないことだと思うのかい?』

 

なかなか納得のいく話だ。そしてこのとき私は”源はどこか”という話を思い出しました。

 

 

”源はどこか”というのはブルース・モーエンの死後探索ワークショップで何度か出てきた話で、私はそれが妙に印象に残っていました。とても惹きつけられ、考えさせられる話でした。

 

 

例えば、ヘミシンクやワークショップなどで探索しているとき、ドーナツのヴィジョンが見えたとします。

 

探索が終わった後ノートを見返していて、

「ドーナツのヴィジョンは何の意味があるんだろう・・・?」

と少し考えて、

「そういえばさっきドーナツ屋さんの前を通って買おうか迷ったっけ。きっとそれが反映されたんだな」

 

injapan.gaijinpot.com

 

と、あまり意味のないものとして考えてしまうのですが、

 

じゃあ何故ドーナツ屋の前を通ったのか?

道は他にもあったのに?

そもそも何故ドーナツ屋が目についたのか?

色々なお店がある中で?

そしてなぜそれがヴィジョンとして選ばれたのか?

目についたものは数多くあるはずです。その中でなぜそれが選ばれたのか?

 

という疑問が湧いてきます。

 

これは”記憶からの抽出”の例ですが、妄想、空想も同じことです。

 

 

 

共同探索を例に取ると、

 

”Aさんらしき人はピンク色の服を着ていた”

 

と知覚したとして、おそらくこれが自分の創りだした想像上のものだと考える人は多いでしょう。

 

何故Aさんなのか?

 

なぜピンク色だったのか?

 

参加者は大勢いますし、服の色も色々です。

 

そう思ってしまった理由は一体どこから来たのか?その源はどこなのか?

何か理由があるのではないか?

 

 

知覚をするときのことを思い出して欲しいのですが、

 

「よし、Aさんを出現させよう」

とか

「ピンク色の服を着せよう」

 

という風に決めたわけではないと思います。

決めていたのなら妄想と言っていいでしょうけど。

 

 

探索では一見何の意味もなさそうな、自分が創りだした想像とも思えるようなものを知覚することが多々あります。

無意味なものだと決めつけて捨ててしまうのは時期尚早です。意味の不明確なあらゆる証拠は、想像か真実かわからないグレーゾーンのものとして判断を一時保留しておきましょう。

 

 

自分の妄想で無意味だと思っているもののソースを深く深くたどっていき、”創造主”、”根源なるもの”、あるいは神・・・・

 

そういうものに行き着いたとき、それは無意味なものだと呼べるだろうか?

 

 

”源はどこか”

こういう考えを頭の片隅にでも置いておくと、空想、妄想に対する考え方が少しは変わるかもしれません。

 

 

 

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