「アートにはユーティリティ性がない」

 

「アートを売りたいなtらユーティリティ性を

持たせないといけない」

 

という意見をSNSなどでチラホラと目にします。

 

暗に

 

「アートは何の役にも立たない」

 

と言いたいのでしょう。

 

そういう意見は、アーティスト以外の人が言いがちです。

自称「評論家」とか「マーケッター」とか

「なんとかインフルエンサー」とか。

 

そもそも、アートにユーティリティ性を持たせるのではなく、

 

アート自体がユーティリティである

 

と言っておきましょう。

 

「アートの効用」についてのエビテンス、つまり根拠や証拠が

世間に示されている以上、ただの娯楽・嗜好品ではなく、

現代社会での生活を支えるインフラのひとつとして機能する

可能性を秘めているのです。

 

しかも、アート思考を持つことの有用性についても

重要視され始めています。

 

つまり、アート自体がユーティリティ(有用性のあるもの)

であると言えるのです。

 

Ado や COMPLEX のライブに心ときめかせ、

あれだけの人が会場につめかけるのを見ると、

アートや娯楽も生活を支えるインフラである

というのは、過言ではないと思うのです。

 

アートや娯楽が生きる活力になっているのであれば、

それはもはやインフラとして機能しており

ユーティリティ性を有していることになるのです。

 

絵、造形、音楽、映像、ファッションなど、

アートや娯楽のチカラを侮ってはいけません。

 

想像したくはないですが、

アートや娯楽が一切ない社会で生きることになったら、

なにを活力にして生きていけばいいのか?

 

そう考えるとアートや娯楽は、現代社会での生活に

欠かせないものだと分かります。