おはようございます。

いつもありがとうございます。


昨日実家に行って、父のセカンドオピニオンに行ってきました。


今回は電車で行きました。


地元を離れてからは車でいつも実家に行っていたので

何十年ぶりでしょうか。

実家の最寄り駅に着いて、

懐かしいさと

進化したビルが立ち並び

長い年月を感じました。


学生時代、お勤めしていた頃、

母が入院していた病院もあり

いろんな思い出が頭の中を駆けめぐり

胸が締め付けられました。


静岡から来てくれた息子が迎えに来てくれて

実家に行き

父と兄を乗せて

病院に向かいました。


診察室に呼ばれ

若い女医さんが座ってました。


先生の見解は

同じでした。

「もう治療方法はない」ということ。


自宅でできる限り過ごしたいというのであれば

・訪問看護、訪問診療をする。

・胃ろうは作らないほうが良い

・栄養が足りなければ点滴

・最期まで自宅は厳しいから今のうちにホスピスを決めておく

という事でした。


父はショックを受けている様子。

父は治験でもなんでもいいから

長く生きられる、良くなる可能性がある事を

試してみたいと思っていたようでしたが…


常に前を向いて

常に生きようとする父を

本当に尊敬します。


どうか、心身共に穏やかな日々が1日でも長く続いてくださいますように。



そして実家に父を送り、

息子の運転で一緒に自宅に戻る車内で、

私が

「病院の先生、すごく若かったけど

頭の中はすごい知識が詰まってるんだろうな。」

高速を走り夜景を見ながら

「すごいビルだよね、こういう設計する人がいるんだよね、頭の中知識が詰まってるんだろうな」

「私なんてからっぽだ」

と呟いたら。

『お母さんはどうして自分がからっぽだと思うの?

人と比べても何もいい事ないよ。お医者さんとして素晴らしい人いっぱいいるし、建築や設計デザインで活躍する才能がある人もいっぱいいるかもしれない。

誰かが誰かの役に立つことっていろんな形があって、お母さんはお母さんとして素晴らしい人で

少なくとも子供達にとって、どんなお医者さんよりもどんな建築家さんよりも必要で役に立つ存在なんだよ」

と。


「お母さんがもし、若くしていなくなるようなことがあったら、僕の人生はきっとダメになってしまう。

本当にダメになってしまう。

だから、長く、できる限り長く元気でいてほしい。

本当にこれだけはお願いします。」


と言われました。

確かに旦那が旦那として父として機能していない、

私がいなくなったら家族は崩壊してしまう。

子供達のその後の人生を左右してしまう。

私が母を亡くした時の悲しみを子供達には味わってほしくないと心から思いました。


そして息子に

「…なにか隠してる病気とかないよね?」

と言われました。


まさか、

「がんリスク陽性」なんて言えるわけもなく。

やっぱりちゃんと検査しようと思います。