ちゃんとしてから出そう、と思って出せていない
ちゃんとしたものになってから出そう、と思っている下書きがある。書いてはある。形にも、だいたいなってる。でも、まだ出していない。もう少し直したら出そう、と思ってる。そう思ったまま、何日か経ってる。■ 公開ボタンの上で、指が止まっていた僕にも、そういう時間がずっとあった。書き終わった文章の、最後の段落をもう一回読む。途中で目が滑る。行間の隙間が気になる。改行を一つ足して、また戻す。句点の位置が気になりだす。一文字だけ、そこが太く見える。カーソルを置く。点滅が、やけに早く感じる。ブラウザのタブが何枚も開いたままになってる。どれも閉じない。閉じたら、戻れない気がしてた。喉が渇いて水を飲もうとしたら、コップが空だった。舌が上あごに張りついてる。椅子がギシッと鳴る。背中が丸まってるのに、気づく。公開ボタンだけが、妙に鮮やかな色をしてた。そこを押したら、何かが変わる感じがする。でも部屋は、何も変わらない。■ 直していたのは、文章じゃなかったあの何日かで文章が良くなったかというと、正直、ほとんど覚えがない。改行を足して、戻した。句点を動かして、元に戻した。結局、ほとんど同じものを出した。今なら分かるが、あのとき僕が直していたのは文章じゃない。自分の怖さを、直そうとしてた。まだ完成してないから出せない、と言っておけば、誰にも読まれずに済む。下手だと思われることも、無視されることもない。そして、磨いている間、それはこの世のどこにも無い。良いか悪いかを、まだ誰にも判定されていない。つまり、無いのと同じだ。■ 「買ってもらう」の手前に、もう一段ある何かを作って世に出すとき、着地点は「買ってもらうこと」だと思ってしまう。それは間違ってない。売れないと、続けられないから。ただ、その手前にもう一段ある。まず一度、触れてもらうことだ。一度でも触れてもらえたものは、そこから動きはじめる。読まれた。途中で閉じられた。最後まで読まれて、何も返ってこなかった。どれも、次に使える手がかりになる。触れてもらった瞬間から、どこを直せばいいかが向こうから返ってくる。自分の部屋で、一人で探し続けなくて済む。逆に、出していない限り、良くなったかどうかを確かめる方法がない。手応えのないまま磨き続けることになって、その時間は、ほとんど戻ってこない。だから最初は、粗くていい。安くても、無料でもいい。触れてもらうところまで届けば、それで一段進んでる。■ 直したい場所を、1つだけ直すもし今、出せていない下書きがあるなら、こういうやり方がある。直したい場所を、頭の中で数えてみる。1つや2つでは、済まないはずだ。そのうち、一番気になる1つだけを直す。残りは、触らずにそのまま出す。ネットに出したものは、後から直せる。誤字も、言い回しも、順番も、出した後で何度でも変えられる。出す前に完璧にしないといけない理由は、実はどこにもない。僕はあのとき、読み込みの円が回っている間、ずっと息を止めてた。止めてることに、途中で気づいた。ページが表示されて、自分の文章が別の場所に置かれてるのを見た。同じ文字なのに、知らないもののように見えた。指先がじんじんして、手だけが妙に軽かった。胸のあたりは、まだ詰まったままだったけど。それでも、出したほうがよかった。あのまま磨いていたら、あれは今もどこにも無いままだった。完璧じゃないものを出すのは、こわい。僕は今でも、こわい。ただ、誰かに届いたのは、いつも出したほうだけだった。君の下書きは、もう出せるところまで来てる。「4通の手紙」を受け取る