昨年十二月の日露首脳会談で合意した日露の共同経済活動についてである。北方四島に日本企業などが進出し、ロシア側との合同出資などにより経済活動を実施しようという話が進みつつあるようである。漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野についてであるという。

 安倍首相が日露平和条約の締結を使命と考えており、この日露の共同経済活動も北方領土返還につなげたい考えであることは明らかである。

 北方四島は近年、ロシアが開発を進めており、このまゝ「ロシア化」が進むより、日本の関与を強めた方が得策である、と判断したと言われている。

 さて、どうかなと言いたい。

 私は、北朝鮮の咸鏡南道咸興駐在軍司令部の主計将校をしていたが、昭和二十年八月十五日の終戦後、在留邦人の歸還を見とどけるまで鉄道沿線の警備に当たり、全員の引き上げ後将兵を内地に送還するという協定になっていたというが、十月興南の港で上船させられてソ連在のポシェット軍港に上陸、シベリア鉄道を西へ西へと走ること二十三日間、ボルガ河支流のカマ川沿岸の小都市エラブガで二年余りの抑留生活を余儀なくされた。

 二十年八月十四日丁度三年ぶりに舞鶴に上陸したが、四十年頃から推されて抑留者団体全国ソ連強制抑留者団体の長となった。

 日ソ間に結ばれていた不可侵条約を終戦間際に日本の敗色を見越して一方的に破棄したことを謝罪し、又六〇万抑留者の強制労働に対する賃金支払いを要求して運動を開始して以来、平成三年ゴルバチョフ来日の際日ソ間に締結された三ケ條の協定(抑留者の名簿報告など)の履行を要求してモスクワを訪ねること二十数回。なかなか協定の完全歴行が実現していない。

 われわれは政府の公式代表とは見られていないせいもあって、ロシアの政府職員とも割とオープンに意見を言い合ってきたが、率直に言えば、ロシア側には北方四島を返還しようという考えは毛頭もないことは明らかである。

 彼等が終戦の数日前に満州、北鮮、樺太、千島などに侵入して来たのも、日本軍と戦って降伏させた、という形をとるためのものとしか考えられないが、とくに北方四島にソ連軍が侵入して来たのは終戦後であることは明らかな事実である。

 私が言わんとするのは、もしロシアが経済協力に乗って来たとしても、それは、開発の遅れている広大なシベリア東部の、日本の資源と技術による開発を意図しているだけのものと、思わざるをえない。

 そういう考え方が誤っていれば幸いであるが、領土問題に関して少なくとも日露間にまともな議論が全然出てこないように思われるだけに、又もロシアにしてやられた、と悔やむことのないようにしたいものだと思うばかりである。