以前、私が主計局にいた頃は、ことに主計局長の頃は衆議院第一委員室にしばられていることが多かった。主計局長の定位置は丁度、昔はライトのまともに当る位置であって、そのせいで、特に院の許しを得て色メガネの着用を許されていた。委員室のラ陸からのテレビのカメラの光が眼を悪くする恐れがあったからである。

 もっとも暑から屋の田中総理が誕生して間もなく、委員室の明るさを和わらげるように改装するよう指示があって、かなり手直しをした頃からは大分改正されるようになった。それでも、田中さんは、得意の姿勢で扇子をパタパタと言わせることが多かった。

 予算委員会の予備室の回答は、かなり激しい言葉使いもあり、とんでもない間違いもあったが、特にテレビが入る時は見せ場になるせいか、一段と声もはり上げて発言する人がいた。

 以前は政府委員に任じられる役所側の人も多く、トンチンカンな質問も少なくなかったと思うが、原則として官僚の答案を許さないようになってからは、いくらか答弁の重みは増したかな、と思うこともあったが、同時に詰まらない答弁で時間のムダが増えて、実質質議が思うように充実していないことも増えた。

 国会珍言集をもとめて本にでも発行する方も出ていたが、おそらく、言い間違いが目立っていた。例えば、反対の意味で役不足とか、五〇歩一歩と言うべきところを五〇歩一歩でとか。もっとも首の差はそれこそ一歩だなと笑い合いったものである。一方田大臣はリューシャン列島と言うべきところをアシュリューシャン、道路と言うべきところを、ロード予算。もっとも英語は字の順番をひっり返しただけではないが、と思ったりした。