29・4・4

 今、新聞などを賑わしている話題で、何とも小さくて情けないように思うのは、安倍総理と夫人などをめぐる、言ってみればスキャンダルめいた話である。

 しかし、ちょっと考えてみれば、あちこち紙面を埋めるような話だろうか。世の中のことは何も彼もキレイに割り切れるようにはならないことは、私のように九〇年以上もとにかく生きて来た人間には、いくらかわかって来たつもりである。

 公人と私人との境のどうの、こうのと言ったって、総理のような立場にある人の行動をどっちかにキチッと割り切れるものでもないし、割り切ろうと努力することにどれだけの意味があるだろうか。

 金が動いた、百万円をお祝いにあげた、それが本当か、嘘か、も問題となっているようであるが、いってみれば、そんな程度の金がどう動いたからと言って、所詮天下がひっくりかえるような話にはならないのではないか。

 そもそもそういう考えがいけないのだと言われれば、然っているより仕方がないが、そんな気がしてならないのである。

 もっと大事な事の眞否を究明するというなら、敢えて反対するものではないが、今のようなチッポケな泥仕合はする価値はないのではないか。時間のムダ使いに終るのではないか。