27・11・10
久し振りに横浜へ行った。三号線のお蔭で、昔を思えば随分横浜も近くなった、と思う。ニューグランドホテルはいささか古めかしくなったが、マックアーカーが常宿にしていたと言われているのも尤もと思われる重厚な美しさがある。そこで会が行われた。近頃はこの手の亡くなった人を送る会が増えて来た。
窓の外は港、氷川丸が眼の前に繋留されている。鎌倉春秋社社の伊藤玄二郎君が氷川丸という本を近頃出版し、記念会に私も出席したが、やはり、港はいい、船もいい。
子供の頃から横浜の街を歩き回っていたわが身にはやはり懐かしさが湧いてくる。
戦後米国に長く占領されていたし、又かなりブルドーザーなどが入っているので、ところどころおやと思うような変り様も見えたが、この頃はそうも思わなくなった。
戦前、横浜に住んで、東京の会社に通うのがサラリーマンの望みだと言われていた。
東京の人はハリウッドから海を渡って最初に上陸する映画を横浜のオデオン座で見て、南京町(当時は中華街などと言わなかったと思う)で食事をして帰るのが一つの楽しみであったと言うし、又三十年代もブルースカイやクリフ・サイド・ホテルなど、東京で一杯飲んでいい気分になった若い人達が大勢車を走らせたものだったし、私達もその一人だったな、と思いは又昔話となって、仕舞う。
山手の丘も散歩のルートであったし、外人墓地、山手公園も思い出が深い。
生命あれば、又、再び横浜に住んでみたいが、今となっては叶わぬ望みか。