27・8
ついこの間、小型機が墜落して何人も死傷者を出した。その原因をいろいろ調査しているらしいが、さて、その原因が假にほぼ判明したとして、さて、どうするか、である。
既に一部の人からは、街中の飛行場は閉鎖すべきだ、という強い意見も出ているし、そういう考え方もある。
しかし、飛行機は今迄も小型大型に限らずいろいろな事故を起しているし、何百人も一時に亡くなった例もある。ただ、そういう事故があるから、もう飛行機など一切禁止しろという意見は出ていないようだし、第一、他の乗物、一番いい例は自動車であるが、あれ程世界中を走り回って、それなりに事故による死傷者も出しているのに、自動車の走行を禁止せよ、という意見は出ていないではないか。
自動車や飛行機に限らず、近代的な装備には、事故がつきものである。しかし、それだからといって、そういうものを一切ストップさせろという意見は出ない。
太平洋戦争中、私も戦地で二年暮らして、主計将校であったから、第一線でドンパチやったわけではないが、米軍の夜、晝とない空襲にも数知れず遭って、何度も死にそこなう目にあって来た。八月十五日終戦となってから、今度はソ連に三年近くも抑留されるということもあった。六〇万人の抑留将兵の一割が亡くなったという悲運にも会った。チフス、T・B、作業中の怪我、さまざまな原因で亡くなった人々には、責任が全くない人が多くいた。
一生懸命仕事に努力したから、身体にできるだけ気をつけたから、その他、本人がいくら真面目に努力しても、その人達が無事に故郷に歸れた、ということはなっていない。そこで、つき放して物を言うようだが運命であった、としか考えようがない。
戦後七〇年近くも生きて、来し方をふり返ってみることもあるが、今日までともかくも生きて来れたのは、運としか考えようがない。
仕方がない、これが人間の運命と思い、本人は生きる努力をして、いかなければならないが、その人の努力の及ばないとところはあるとして、人類全体の発展のために、文化文明の進歩のために、後生千万年も続くであろう人類のために、進歩の道を止めないようにして行くしかないのではないか、と思っている。