27・4・12

 故田中角栄氏が総理になった昭和四十七年七月、当時主計局長であった私に、何か新政策はないか、考えてくれと、いう命令があった。

 早速、一晩考えて総理に特参した案は

国土総合開発庁、同公団の創設

老人対策本部の創設

内閣情報局の創設

などであった。

 総理はよしやろうという御返事で早速とりかかったが、こと各省庁の権限に関することなので、そうやすやすと理想案は通らない。

はGHQ時代の安本の公共事業課を意図するもので、凡ての公共事業費予算を国土総合開発庁に計上するか、予算計上は各省にしても実施には必ず開発庁の認可を必要とする。総合開発公団は道路や鉄道建設の権限を持つようにするという原案であったが、各省庁の強い反対にあって、公共事業の調整費を大幅に増額する、地価の公示価格を設定する程度のはなしになって了った。

は年金と医療だけを旨としている老人対策を改め内閣官房に対策本部をつくって、就業促進、バリアフリー化など老人対策などを総括してつくる本部を創設するもので、厚生省の強い抵抗にあった。

各省庁の統計調査などを含め、情報収集を内閣に集めようというもので、

之は、統計局の強い反対などで実現をみなかった。私は日比谷図書館の隣りの建物を建設し、そこに大型のコンピューターを容れて情報を集中保管をすることを考えていた。

 どうも田中総理の腕力をもってしても、なかなかスムーズに案は進行しなかったが、私は、今でも、この案は実行してみる価値があると考えている。諸賢如何と思われる。