27・3・16
夏目漱石の「三四郎」に続いて「こころ」が再び朝日の紙面に再録される、という広告である。
漱石の小説はやはり骨組みもしっかりしている上にいわば実が詰まっていて、読んで損をしたような気がしないのは流石である。
若い頃の三四郎や草枕などの方が晩年のものより好きな、のはどうしてか、と昨日も考えてみた。
本気で小説家になろうとしていなかった頃のものは構えていないだけ、いろいろスキがあったにしても感じていた本音が見えて面白かったのではないか。
それにしても、五十そこそこで亡くなった、人にしては、よくいろいろなことを知っている学者だったことに驚ろいている。やはり本ものの学者だっただろうと思うし、又、感覚が鋭敏で、表現も簡にして要。鋭い。なかなか、どうして真以したくってもとても出来そうにない。
その点森鴎外もいい勝負だと思うが、彼は本来は知れないが、少なくとも表に出ていないものはジョークである。二人の育ちの環境の差かな、とふと今思ってみたが、まァその点は大した意味はないのだろう。
川端もすばらしい作家だと思うが、彼は感覚は大したものであるが、時に感覚だけだと思わせるところがある。その上漱石には論理があったが、川端は、そういう点は無関心であった。