27・3・8

 二十七年前、私ども鳥取県西部(米子中心)の有志が相談して始めた日本海情報ビジネス専門学校の卒業式が昨日米子市の文化ホールの一室で行われた。

 私は、例年のように会長として送別の辞を述べた。卒業生は五十人余で保護者が百名ぐらい出席をしていた。

 どんなことをしゃべったら卒業生の胸に残る言葉となるだろうか、といっていつも心を悩ますのだが、今年は戦私が後ソ連邦に抑留された間に、官名詐称を始めとして間違った情報により、カザンの独房に四ヶ月も送り込まれ、夜毎厳しい取調を受けたが、結局何度調べても私の陳述が本当であることがわかって、無事内地に帰還することができたことを話した。これから世の中に出れば、時に荒い波風、よいことも有るが、悪いこともあろうと思うが、真実は一つ、必ず真実が知れると信じて行動して欲しい、というような話をした。

 それは長い人生を振り返って私の実感であった。ついに真実が知れないで、一生間違った情報に包まれて亡くなった人もあると思うが、それはまことに例外に過ぎないと思う。

 一生の間に起きたその種のことを一度纒めて記してみたいとは思っている。