詞は通じなくとも音楽は語り合えることをしみじみと思う。今の場合、詞は英語だからわからないことはない。しかし、言葉というより曲かもしれないが、前にも記したとおり家を離れて行方も知れぬ砂薄の街へ出て行く悲しみが伝わってくる。
昨日十四年も元気でいた自宅の犬が死んだのでよけいにそういう思いがしているのかも知れない。動物であれ一つの生命が失われたことである。
いつも夕食が終ると二階へ部屋について来てじっと坐って俟っている。太るので余計なものをあげると家人に怒られるので、しらん顔をしているのだが、可愛そうなのでチョコレートの小さな一片を与えると、黙って噛みつく姿も今はない。
あちこち身体が悪くなっていることを医者に告げられた時、あまり苦しませないでほしいと言っておいた。十四才の年は犬として不足とは言えないが、冷たくなって箱の中でタオルにくるまって横になっている姿にはいろいろな思いがかけめぐる。
明日は灰になる。ヒロ(三男)は一晩一緒に休んでいたらしい。