今から一ヶ月ほど前、サンドラ・カルニエラさんという元ラトビア国会議員で現在は欧州議会議員の女性に会う機会があった。ラトビアの独立運動を指導し、独立回復後は外務省に入り、国連大使、フランス大使などを務めた後外務大臣にもなった優れた女性であった。

 私がソ連強制抑留者協会の会長をしているという立場で、抑留の実態についての話を聞きたいというふれ込みであったので、半時間ほどの短い時間ではあったが、率直なお話をすることが出来た。

 彼女が「ダンスシューズで雪のシベリアへ」という本を出したが、英語、ロシア語、フランス語ほか世界十二か国語に訳され有名になった。日本語にも黒沢歩氏の訳で新評論から出版されている。

 彼女の祖父アレクサンドルスが戦後もソ連の占領に抵抗し続けたパルチザン組織「森の兄弟」に属していた、シベリア送りとなり、ラーゲリで獄死したのであるが、シベリアで出会った両親の娘としてトムスク洲で生れたのがサンドラであった。

 彼女の本は邦訳で四〇〇ページ近くある。その概要も記すことはむりであるが、彼女の一家はラトビアを追われて、後にやっと祖国に帰ることが出来たと言う運命を持ったということである。

 酷寒のソ連の土地に暮さざるをえなかった点で彼女は私にも共感を持って、会いたいという気持だったのだろうか。

 大へんに上品で話のわかる女性外交官で、もっといろいろ話をしたかった。

 ところで、世の中にはいろいろなめぐり合わせがあるものだと思ったのは、去年、榊原晴子さんという米国在住の日本人二世の女性に紹介されてお会いしたが、彼女は今次大戦中、日系なるが故に収容所に入れられるという経歴の持ち主で、一家がカリフォルニアのわが家を捨てて汽車に押し込められ、収容所暮しになった悲運を歌にしたものをくれた。“WE HAD TO GO“という題がついていたが、実に悲しい、心の叫びを言葉にし、節にしたという感じのCDを戴いた。いい曲で、それから毎日のように本を読みながら、原稿を書きながら、私は、その曲を聞いている。

 何たる偶然か、と思っている。世の中は狭いという思いがしたし、何かの縁で結ばれていることを、改めて感じた。