27・3・1

 あれは、昭和二十五年度の予算編成の時であったかと思う。国会等いわゆる独立機関の予算の担当主査をしていた私は、池田大臣のところへ呼び出された。主査が直接大蔵大臣に呼び出されるなんて極めて異例である。

 そこで直接指示があったのは国会機能の充実であって、両院の法制局、委員部、図書館の調査立法考査局などの大巾増員などに併せて、両院議員五人に一台の割合で自動車を購入する予算をつける、という話である。無論運転手も要る。

 このびっくりするような予算計上にいささか抵抗したら、これは大臣の命令だという。GHQの古領下にあるとは言え、大臣の命令とあれば逆えない。

 それで、両院で百数十台の自動車を購入することとなったが、一台はたしか百二十万円で、無論全部アメリカ車であった。日本製ではろくな乗用車は生産されていなかったのである。

 この二月二十七日、日経新聞のトップに「ヤマハ発の四輪車」(十九年めど欧州で生産、販売)とある。日本企業で乗用車メーカーとしては九社目になるという。二人乗り、二輪車技術を生かすと書いてある。

 思えば、様変りの日本の技術産業の進出である。高級車としても日本のレクサスの評価はベンツ、BMWを淩ぐ、と言われている。

 結構なことである。航空機の分野ではまだまだ遅れている。米国に政治的にも抑えられていたことも事実あったと思うが、世界の空を勇飛する日本産の航空機の姿を見たいものである。