27・2・22

 朝日新聞に「三四郎」が昔懐かしく連載されている。初めて読んだのは中学生の頃だから今から八〇年も前のことになる。父の乏しい文学の蔵書のなかに岩波発行の漱石全集が揃って入っていた。読んだのは「坊ちゃん」が一番最初かも知れない。恐らく題名につられて読んだのだろう。

 全集も手紙の端まで読んだ記憶がある。彼が教師を止めて朝日に入り初めて「虞美人草」を書いた頃の手紙が出て来た、と今朝の新聞で読んだ。大へんな苦労をしたということが手紙に述べられているようだったが、私は、ゴルフで始めてコンペに出た時のことを思い出していた。緊張である。いいスコア―で回りたいという慾である。笑われまいとして身体が堅くなる、あれではないか。草枕や二百十日なども気楽に一瀉千里で書いただけに冗舌なくらい筆はなめらかである。

 草枕の宿には、十年以上前に出張の時に訪ねて感動を新たにした。いろいろ彼には珍しいロマンスも語られているが、真実の程は知らないし、別にせんさくする必要もない。ただ、上手に書こうと思わないで、いろいろな思いを発散しようと思えば、あゝいういい文章になるのかもしれない。

 それにしても三四郎は書かれて一〇六年の昔になる。使われている文字はかなり古いものが散見するが、書かれていることは、決して古くはない。そこで漱石の作家としての、文化人としての、学者としての偉らさを知ることができる。満四九才で亡くなったと言うが、信じられない位である。