26・10・16

 岩見隆夫の本である。旧満州大連生れで昭和二十年八月十五日の終戦後二十二年二月一家七人佐世保に上陸する岩見一家の辛苦は容易なものではなかった。

 ソ連との不可侵条約を賴むを言う愚をおかして関特演後精強と言われた関東軍の精鋭部隊を南方など他地域に送り、あとはも抜けの殻のようなよせ集め部隊と化した。

 そこえ、二十年五月ドイツを屈服させて意気すこぶる騰るソ連軍が援ソルートで運び込まれた米国の装備で身を固め、八月九日日本との不可侵条約を一方的に破棄して、満洲、北朝鮮、樺太、千島になだれ込んできたのである。

 関東軍将兵はいち早く家族諸とも撤退し、いわば置きざりにされた百数十万人の在留邦人、とくに満ソの国境に身を守る武器も持たずしてソ連の機械化部隊に蹂躙された満蒙開拓団二十数万人はそれこそ筆舌に盡し難い悲惨な状況に陥ったのである。あまつさえポツダム宣言に違反して日本軍将兵六〇万人を内地へ送ると称してシベリア奥深く運び込み、酷寒のもと強制労働に服せしめ、ために一割六万人が死亡するというひどい目に遭わせたのである。

 日露戦争は辛勝したが、十万人の戦死、二十億円の戦費の上にやっとえられた満鉄を中心とする権益も凡て失った日本は一体何をして来たのだろうか、と思わず反省を深くせざるをえない。

 新聞人として著者岩見隆夫は自らの経歴を生かして戦後政治をウォッチし続け、かくの如き告白に到っている。

 帯に日く「生涯ジャーナリストの後生に伝える備志録」。久しぶりにいい本を読んだ。ソ連抑留経験者の一人として、もっと記してほしかったと思った。