26・7・13
「三つ子の魂百まで」という古諺がある。それとは一寸違うが、小さい時にふと感じたことが後々まで残っていることがある。
私は、愛媛県大洲の小学校付属幼稚園に通っていたことがある。九十年も昔のことである。電灯が少なく、家の一部ではランプを使っていたし、街には二頭立ての駅馬車が市内をパカパカと走っていた頃である。
私は、幼稚園へ行くのが大嫌いであった。
毎日泣いて渋っているので、母親が困って幼稚園の先生に頼んで、朝迎えに来てくれることになった。若い女の先生で、子供心にもきれいな人だと思った。
その先生に手を曳かれて、家を出ると、広い通りを幼稚園に向って歩いた。ただ、先生は途中で必ず肱川の傍の家に寄った。同じ幼稚園の若い男の先生の家であった。
夏には蛍が光の糸を引いて飛び交う肱川は子供心には随分広く、大きく見えた。川端には葦が生き茂っていた。先生は家の中へ一人で入ってなかなか出て来ない。私は、葦の芽を摘みながら俟っている。手に一杯になった頃、先生は男の先生と一緒に玄関に現われ、三人で一緒に幼稚園に向かうのである。
大洲には小学校が一つしかなかったが、その小学校に幼稚園が附いていて、遊動円木やブランコなどの遊具が並んでいた。幼稚園に入れば、嫌いな私も何となく皆と遊ぶ、午後になれば、今度は一人でぶらぶら歩いて自家に戻って来た。歸りも先生についてきて貰ったが、どうかはハッキリしていない。
思い出して見ても、何故、先生が男の先生の家に毎日立ちよって、しかも、必ず十分かそこいら俟たされまのか、どうもよくわからなかった。
今に思えば、先生は彼氏だったのではないか。毎日僅かの時間の逢う瀨を楽しんでいたのではないか。何やらよくわからないが、二人の先生の間の親しさが子供心に感じられていたのである。
子供心に遺されていた何とはない男女間の交流の感じはわすれることなく今日に到っている。
他にもいろいろこんなことがある。
意味は違うが、三つ子の魂百までというのは、こんなことか、とも思う。