26・8・14

 こうして日の暮れ行く中でジーンと、と切れずに鳴く虫の音を聞いていると、山の中だなァという感じがする。

 夕方は日暮しがカナカナと細い音を立てゝいる。もう秋がそこまで来ているかなと思う。

 日中の温度も二十度ぐらいで、多分、今頃の東京より十度近く低いのではと思う。出る前の思考能力を奪うような暑さが嘘のような気がする。

 かなり以前、といっても六十年も前のことだが、仕事がらみの視察で草津に泊ったことがある。山の中で舗装もしていない道路を走って床の高い外車の底が地面について電池が落ちてエンコしたことがある。仕方ない、三、四キロのドロ道を歩いて、温泉宿についた。

 湯もみ歌を聞きながら酒の一杯が二杯になり、宴は乱れて、草津よいとこを芸者と何べんも踊ったことを思い出す。その歸り軽井沢の街を通ったのが、初めてであろうか。

 夏とは言えど涼しく、かなりの人出、そして何となくエキゾチックな雰囲気のある街、という印象であった。

 アプト式の例のレールの上を煙を上げて機関車が歩いている頃であった。

 親しい作家の水上勉さんの世話でいずれ山荘をという積りで買った土地は軽井沢も山の方、崖地で、時には夜、もぐら、猿、猪などが訪ねてくるような分譲地であった。

 軽井沢も少しづつ変って行く。古くからあった店が、本屋、骨董屋、飲食店、服飾店などが毎年のように一つ、二つと消えて行く代りにイタリー、フランスなどのレストラン、居酒屋風の小料理店などなどが、気のつかない中に出来て、又、閉って行く。

 軽井沢は温度の関係で、冬はタクシーも走ってくれない地域もあるし、まあ半年勝負だなァと言っているくらいだから、商売としては大へん難しいところだと思う。

 軽井沢銀座も少し前までは八時頃までは車止めであったし、かなり遅くまで人通りがあったが、今は六時頃から車は通れるし、それ以前も人影が薄くなってしまう。

 新幹線に大いに期待をかけていたのだろうが、いささか、あてが外れた、若い人の割合が多くなっているようだが、高い店はダメ、ちょっとした飲食店や喫茶店は満席であっても、単価は高くないだろう。もっとも、軽井沢プリンスホテルに続いて建てられたアウトレット。これは出来た当初、最初のゴールデン・ウィークには五十万人以上入ったというが、少し減ったとは言え、今でも大へんな人出である。

 世の中は、どこかで少しづつ変って行く。軽井沢も例外ではない。