昭和二十年八月十五日敗戦後、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連によってポッダム宣言に違反してウラルを越えてボルガ河畔の一寒村エラブカのラーゲルに収容されたわれわれは極寒の地で飢えに苦しみながら日日強制労働に従事していた。

 朝十一時に夜が明け、午後の三時には日が暮れるその地で収容所の管理局の人々や家族がただ一つ楽しみにしていたのは映画であった。

 占領した東独のアグファ・カラーを使って写したシベリア物語や石の花はさておき、ソ連の人達が楽しんで観ていたのは欧米の映画であった。

 毎月一回だけだが映写室で映画を上映する。その部屋にもぐり込んで見た映画に「舞踏会の手帖」を観た時は本当にびっくりもし、懐かしさで涙が零れる経であった。

 ヒロイン・クリスチーヌ(マリー・ベル)は夫と死に別れた後、十六歳の時初めての舞踏会で踊った男達の名を記した手帳を見つける。過ぎ去った青春への懐旧の情に駆られた彼女は、手帳の男達を次々に訪ねて行く。

 クリスチーヌの婚約を知って自殺していた男とその狂った母親(フランソワーズ・ロゼー)。元弁護士だが、やくざな稼業を身を落し、クリスチーヌの目の前で警官に連行されるピェール(ルイ・ジューヴェ)。ちょっとだけ待ってと警官に告げて、クリスチーヌと腕を組んで、昔二人で唱った詩を思い出して唱いながら歩く姿は胸を締めつけられるような哀しさが浮んでいた。ピアニストから世を捨てて神父に転身したアラン(アリー・ボール)、癲癇を病み、情婦を殺す墜胎医ティエリー(ピエール・ブランシャール)、理髪師になったファビアン(フェルナンデル)。

 クリスチーヌが再訪した昔の踊り相手の現実は、今や思い出とは似ても似つかぬものとなっていた。

 これだけの名優をよくも集めたと思われるようなフランス映画の醉とも言うべき映画を醉いながら見終って外の出た私達の回りは足が埋まる深い雪と裸電球の談い光にキラメキながら舞い降りてくる粉雪であった。

 三年後解放されて日本にもどった私は、も一度この映画を見る機会があった。

 映画を見ている間は別の世界である。又、初めて見た学生の頃に戻った思いであった。

 それから半世紀もたつ。も一度みたくもあるが、何だか観たくもない。そんなものかなあと思う。