26・5・5

 具体的なことは書かないが、ついこの間、外国の高官に貿易に関して金を渡したことが発覚して処罰されたことが出ていた。

 そうとハッキリは書いてなかったが、誰でも渡しているのに渡さなければ仕事がとれないとなれば、つい渡してしまうことになる。そんなことをするな、と止めることはできるが、その代り仕事はとれない。となれば、上の者は知らない顔をして、担当者がしかるべく処理するという形になって了う。

 日本の身内同志で競い合う場合は国としては意味を持たないが、外国勢とせり合って、日本の企業が仕事をとるか、とらないか、というようになれば、まァとった方がいい、ということになるのだろう。

 ODAの中味はそれを受ける国の要望ということになってはいるが、実際は、発想から細かい仕組みまでこちら側でやって、おもむろに相手国の要請という姿で出てくる場合もあった。いや、殆んどの場合、そうだという話も聞いている。となると、そこまでやって、あとは入札で他の国にさらわれる、というようにはさせたくない。昔は紐つきが多かったが、ある時期からうるさく制限されるようになった。談合は又うるさい。となれば、せめて指名競争のような形をとって貰う。それには、運動費がいる、というような構図になってくるのではないか。

 国際社会においてODAはいわば先進国の社会的責任の一端であろうが、金を出融資した国が仕事の優先権を持ってはいけないことはない、と思う。金を出さないで、注文ばかりつける国があったなら無視したって差支えないのではないか。

 相手国の内部での処置は、こちら側の問題ではない。

 戦争中、私は中支の武漢地区で対日還送物資の収買を担当する軍司令部の調弁科の主任将校をしていた。皮革、油脂、屑鉄、非鉄、米、雑穀などあらゆる物資をいくらでもいいから、買えるだけ買えという大本営の指示で働いていた。物資は日本軍の占領地だけでは買えないので、中国の国民党や新四軍(共産軍)の支配地域からも日本の商社を通じて買付けを行っていた。その際、品物を運び出だすには、何%かのいわば持出し料を払わなければならなかった。そして払えば、何の問題もなく品物はこちら側が手に出来たのである。軍が払うのではない、だから目をつぶっていた。

 何だか、今回の話もそんなもんだと、という気がしないでもない。いい悪いの問題ではないのかも知れない。