26・4・11
私が朝鮮半島にいたのは、第三十四軍司令部の主計将校として駐屯していた終戦前後の四ヶ月程に過ぎないが、三十八度線の北で、咸鏡南道の咸興であった。
大蔵省に復帰してから、主計局で賠償交渉に関与したこともあるし、衆議院議員となってからはずっと日韓議員連盟の副会長などとして、何回も韓国を訪問をした。
私の在学していた横浜の中学校では、韓国人の同級生がいたし、その後も経済界で親しい韓国人も幾人かいる。
ところが、最近は、慰安婦、竹島などの問題を中心として日韓の友好関係が何となく、かなり冷えて来ているように傳えられている。一番近い隣国とそのような関係になるのは、大へん残念なことであるので、何とか改善を図らなければならないが、どうしたらよいか、と考えさせられて了う。
私どもの認識では日露戦争後明治四十三年の日露合併は日本の侵略的行為によるものとは考えられず、又、日本は朝鮮に欧米流の植民地としてではなく、産業、文化、教育などの面においても、当時の内地なみ、或いはそれ以上の水準を目指して施策を行なっていた、と考えている。
戦後いち早く韓国、台湾が経済面で力を伸ばして来たのには、日本による各般の施策努力の成果があった、と思っている。
近頃でこそ韓国を訪ねる旅行客が減り、テレビドラマの韓流ブームも下火となり、嫌韓本が本屋に平積みされているが、何となくこぢれの原因となっている慰安婦問題などは、本来もう片づいているべきものであるし、竹島ももう韓国の実効支配解いていわば日本に返してもらって、交流の正常化が果されないものか、と切に思っている。