政治混乱が広がるウクラィナの与党・地域党のヤヌコビッチ大統領の政権は崩壊したが、出国に失敗したという。

 ソ連は一九九一年に十五の国に分裂をした。ソ連抑留者の会、全抑協の代表として毎年モスコウに出かけている私たちも、それらの国々における政治情勢もよく承知していないが、どうもソ連が十五に分裂したことについて、問題なしとゆうことではないことを感じている。

 ソ連は数十の多民族国家であったという。それは、彼等が例えばわれわれ日本人ほど何民族かということに興味を示さないことでもよくわかる。

 戦後、われわれはソ連に抑留されていた。ボルガ河の支流カマ河の畔の田舎町であった。タタール自治共和国。その首都はレーニンも学んだというカザン大学のあるカザン。いつか、カザンで市電に乗ったことがある。乗客の一人が聞く。お前は何国人だ、日本人だと答えると、「何のためにここにいるか」と訊く、終戦となってソ連に抑留されているのだと答えると「ヘーツ」という顔付き、まだ、よくわからないらしい。一般に情報不足だと思うが、それだけではない。関心が薄いのだはないか、と思った。

 しかし、ソビエト時代はロシア民族は大きな顔をしていた。ソ連の人口のうちでロシア民族が最も大きな数を占めていることもあった、政府の枢要なポストはロシア人が握っているので、表向きはともかく、裏では随分ロシア人の支配はついては不満が汪溢していた。それが遂にソ連の分裂となって現われたものと思う。

 しかし、十五もの国に分裂したことを今では全面的に歓迎しているとも思えない節がある。私は、よく知らないが、国によっては昔のソ連の姿に復帰したいと思っているところもあるのではなかろうか。今回のウクラィナ騒動がその一つの例になるのだろうか。