26・2・13

 現行の教育委員会(教委)制度はかなり以前から改革すべきものとされながら、その改革の中味は定まっていない。

 政府は地方教育行政の最終責任者を首長とする(A案)の方向で纒めたい考えであるが、公明党は反対であり、自民党の一部にもこれに同調する動きがあって、政府と与党の意見の差が広がっている。政府法案の事実上の提出期限となる三月一四日までには閣議決定が難しい状況となってきた。

 一番問題となっているところは言うまでもなく、A案をとるか、とらないかである。

 私は、大蔵省主計局で一番長く担当していたのは文部省予算で、主査で、三年、主計官で三年、GHQの指導下で六三制が発足し、大へん流動的な時代であった。そして日教組が強い全官公のなかでも団結力を誇る耺組として力を発揮している頃であった。

 私は、当時の教員養成制度から問題があったのではないか、と思っている。戦後の学制改革の中で教員養成はそれまでの師範学校がいきなり大学の学部に昇格させられたので二段階飛びであった。いわゆる駅弁大学の中で教員養成学部は高等専門学校から学部となった他の学部から一段低く見られていた。

 教員にでもなるか、教員にしかなれない、デモシカ先生とさげすまれた屈辱から強い団結をもって社会党の支持に力を発揮した。

 共産党の先生が教科書を書き、社会党の先生がそれで教える、と言われたが、とにかく教育の場は左の思想を柔かい子供の頭脳に強く浸透させるとみられていたのである。

 義務教育に当たる教員達は知事部局と離れ教育委員会に立てこもって運動をしているような時期があった。

 教育委員会と教育長を統合し、知事の任命とするというような制度改正はかねてから検討されていた改革であった。

 ゆとり教育というわけのわからない教育方針などは既に改められているが、知識の水準を引き上げ、健全な社会人としての能力を養成するなど教育の目標を高らかに揚げることが必要ではないか。

 戦前は無論外国人も日本の学校で学ぶことはできて、日本人と机を並べて授業を受けていた。それはよいが、外国人だけを生徒とし、反日的な教育を行うような学校を補助する必要はない。義務教育は日本国民を対照とすることをはっきりと法律が定めている。

 教育はまことに大事である。資源に恵まれない日本が列強に伍して国力を増強し、福祉国家として豊かな生活を享受するためには教育に総力を注入するしかないではないか、と私は思っている。

 遠慮は要らない。学制改革を思い切って進めるべきである。