26・2・9
表記の一冊は漱石の娘筆の子・半藤一利の著である。
永井荷風と同じ江戸っ子として育った半藤が、昭和の初、満州国の建設の前後から大東亜戦争へと突入して行く日本の怒涛のような右傾化の流れに対して紅燈の港にあって冷静な批判を絶やさなかった荷風の気持をよく汲んでいる。
資料は荷風の日記、「断腸亭日乗が基となっているが、荷風は外に洩れるのを恐れて、あとから一部削除したりした上、枕元のカバンに常時入れておいたと言う。
半藤の文章は所を得たように生き生きとしていて、よむのが楽しみだった。
「濹東綺譚」は第一回が昭和十二年四月十五日の朝日の夕刊である。私が一高に入学した年で、毎夕楽しみにして読んだことも思い出す。
玉の井などの遊里のあるのも初めて知った。軍部の意向を受けて、世は潮の引くように一方向へ流れて行くのに、われわれはかなり批判的であっただけに濹東綺譚の熱心な読者となっていた。