26・1・13

 「旧著ですが、お正月の(バカ)笑い用にお納の下さいませ」と扉に書かれた一書を暮に曽野綾子さんから頂載した。

 上坂冬子さんと曽野綾子さんの対談集でお二人とも存じあげているので大へん興味をもって読ませて頂いた。私もお二人と同年輩に近いだけに戦前の日本を、戦中の日本を、戦後の日本を知っておる点、まず変な言い方だが、何となく安心感があるのである。

 二〇二〇年に東京でオリンピックが開かれることに決定した。何とはなしに、その頃までは生きて、オリンピックを見たい、という気が涌いて来た。七年さきである。私は、丁度百才を越すことになる。不思議なもので、何となく生き延びる目標を与えて貰ったような気がして、人にもその話を時々している。皆笑っているが、ひょっとしたら生きているのではないかな、という表情を見せるので、何故か一安心している。

 しかし、考えてみれば、百才まで生きるというのは大へんなことである。よっぽど用心して、健康に留意しなければならない。

 転ぶな、風邪をひくな、義理を欠け。この三つが大切だと政界の某先輩が申したという。たしかにそうだったと思うことが多い。この三つのうち、三番目が実はなかなか実行できない。風邪気味であるのに、押して葬儀に出席したり、会合に顔を見せたりして、それがもとで肺炎になって、コロリと亡くなって了う。

 例え話ではなく、あち、こち転っている話である。いずれ、近くあの世でお会いするのだからと、ちょっと俟って貰うぐらいのつもりで、義理を欠いて暮して参りたい、と思っているので、諸事不悪お願いしたい。