26・1・11
菊池寛という人本人にお会いしたことはなかったが、何か御縁があって懐かしい人なのである。
私の父の乏しい蔵書の中に菊池寛全集が揃っていた、二度ほど全部を通続した。日本の文章を和文調と漢文調とに大別するならば彼は漢文調で、きびきびとして大へん読み易い文体なのである。
小学生の時に「真珠夫人」を読んでいて、まだ早いと父に取り上げられたことを覚えているが、私は、彼の長編小説よりもどちらかというと短篇小説に優れた作品が多いように思う。啓吉物語と言われる一連のもの、思讐の彼方へ、藤十郎の恋、父歸る、屋上の狂人など、今読んでも素晴らしい。時代が時代だけにプロレタリア文学に近づく作品があるかと思うが「火華」ぐらいが多少その色彩を持っている程度に過ぎない。
彼は、文芸春秋社を興し、いくつもの雑誌を発行し、茶川賞、直木賞などを創設し、文芸界に活気を与えることを数多くなし遂げた点では、作家というよりも実業家の相貌を帯びていた。
マージャン賄博で揚げられたこともあったし、競馬好きでも知られていたし、将棋を愛し、強かったという。
一介の文士の枠外れ、自分も含め文士の存在を世に明らかにした点では他の例を見ない。
しかるべき武家の流れに生れながら、貧苦に喘いでいた学生時代の境遇から何とか抜け出そうと努力するところに彼の眞骨頂も見えるような気がする。
時代の差で直接会って話を聞く機会もなかったのを大へん残念に思っている。
しかし、彼の創設した芥川賞、直木賞などの名声は依然として高いものがある。もって冥すべしと思っている。