岡松和夫の表題の本を再読して、又、北京の空を思い起した。日々好日。戦前私が北支方面軍に勤務していた頃の北京の空は綺麗だったと思い出すのは錯覚なのだったろうか。近頃、北京は黄塵で空は曇り、人影も薄く見える程に空気も汚れていると傳えられている。霧のロンドンも知っているけれど、あれ程のひどさなんだろうか。

 初めて天壇を見た時、青い空にあの丸い巨大なルリ色の屋根が浮かんでいて、何とも言えない美しさを覚えた。

 爾来、戦後中国を訪れた時は、時間を削いて天壇に行くことにしている。

 初めて天壇を訪れた時、庭にルリ色の瓦が何枚か砕けて散っていた。私は、その壊れた一片を拾って大事に寮に持って帰った。記念にするつもりであった。それから一年経った。北京から中支の漢口に転任させられた私は、対日還送物資の調達に明け暮れていたが、中支に欠乏していた塩を北支から送って貰うために北京に出張を命じられた。

 短い滞在期間の一刻を裂いて天壇を訪れた私は、再び瓦の一片を拾った。宿舎に帰って、最初に拾って、人に預けておいた瓦の一片と合わせたところ、寸分の隙もなくピタっと合って一枚の瓦を現出したではないか。何たる偶然、奇跡に近い現像ではないか。

 漢口に持って帰ろうとしたが、とても大きく、重くて携行が難しかったので、知人に預けて来たが、その年の夏、八月十五日の終戦となって、北鮮にいた私はソ連に抑留され、凡ては終りとなった。知人はあの瓦はとても持ち運べないので、捨てたと三年後に聞いた。

 天擅へはその後何回も訪ねる折があったが、あの広い庭に落ちている瓦のかけらの二つがピッタリ合うなんて、本当に不思議なことがあったものだ、といつも思っている。

 その後、知人の画廊の主が梅原竜三郎の天擅の絵を貸してくれたので、暫らく私の部屋の壁に飾っていた。天壇の絵、それも力強い青の色の天擅で、大へん気に入っていたが、一年後に展覧会をやるのでと取りに来て、それ切りである。

 中国には数多くの貴重な文化遺産があると思うが、私は、何と言っても天擅は格別に素晴らしいものだ、と思って、又、機会があれば、是非訪ねたい、と思っている。