25・12・7

 沖縄の米軍普天間基地の移設問題ほど近頃迷走を続けた懸案はなかったであろう。

 大東亜戦争において国内で唯一戦場となり、まことに多大な人的、物的の損害を受け、しかも、戦後は広大な面積の米軍基地を受け入れざるをえなかった沖縄県民が米国基地を思い切って減らし、普天間の基地も県外に移すことを要求する気持はわからないでもない。

 昭和四十六年、沖縄返還の前の年、国有財産を管理する理財局長として沖縄の諸島を約一週間視察をし、又、その翌年、主計局長として復帰後の沖縄の緒制度のあり方について当時沖縄所管の山中貞則総務大臣と膝詰めで議論を重ねた私は、内地の緒制度と著しいい差違を見せている沖縄の行政制度全般についていくらか智識を持っていた。それだけに普天間の問題もどのように解決するか、絶えず関心を持っていた。

 沖縄県民の心が理解できないわけではない。しかし、過去の経緯、中国を中心とする極東の軍事など緒般の日本を取り巻く情勢を勘案し、日本と軍事同盟の関係にある米国の長年にわたる要請などを考えれば、普天間の基地を沖縄県外に移すことは至難の業であることは理解できると思っている。

 米軍に提供している厖大な土地など施設の固定資産税についても、本来国有財産については固定資産税が課されていないが、提供施設については、固定資産税相当額を交付するなどの措還がとられている。

 そういう言い方は沖縄の人達にとってまことに不愉快であるかもしれないが、若し今米国がいなくなると沖縄の経済に与える影響も大きいものがある。

 長い先の将来についてはともかくとして、今現在では、普天間基地の辺野古移設は止むをえないものとして了承すべきものと思われる。お願い