25・11・10

 成城学園前駅となっていて、東京都立大学前駅のように学校と一体となっている感じの小田急の駅である。

 私が住んで四十年余りになっているが、その間に駅前の街はかなり賑やかになった。食物屋も増えたし、学生がたむろするコンビニもできた。

 成城は初めは中学・高校で新宿にあったが、澤柳政太郎(文部官僚で京都大総長も務めた)が生徒をのびのび学ばせるという教育理念には手狭であるとして、この地砧村に移って来た、という。一九二五年である。

 当時小田急などの私鉄は布設する前に予め線路駅舎予定地などを安い値段で買い、鉄道の布設後の地価の値上がり待って、宅地などに分譲し、その利益を鉄道建設費の償還にあてたと聞いているが、その方式を成城学園も利用したようである。

 私が成城に住むようになった頃(昭和四十三年頃、成城の地価は無論成城といっても場所にもよるが。駅から歩いて十分ぐらい)一坪三〇万ぐらいであったが、バブルの絶頂期には一千万円になっていた、それが、バブルがはじけるや一〇〇万円ぐらいに暴落して了った。

 これは、成城に限った地価の変動ではないが、その高下の幅の広いこと驚くほどである。

 成城の街は住宅地としては田園調布などと並んで評価が高い。成城の範囲は動かないが、金曜日新聞各紙に折り込まれてくるチラシを見ると、成城○○○と書いてあっても、砧や祖師谷などの地番となっていたりする。地価も成城とあるだけで周辺の他の土地よりは高いようである。

 昔は一区画一反(三〇〇坪)ぐらいのところが多かったのではないか、と思うが、固定資産税や相続税が高いせいか、相続の時に一区画が二つ、三つ、時に五、六に分割されるところが多いようである。

 かつて坪一〇〇万円ぐらいまで下がった地価は、今は二〇〇万円ぐらい。それでも三〇坪で六千万円、それに家を新築すれば、容積率八〇%(建蔽率四〇坪)だから、眼一杯に建てるとして、さあ、木造で坪五〇万としても全体で七千万円以上かかるという計算だから、普通のサラリーマンにしては、いささか高い出費となる。

 戸建ての庭つきの家に住むことは確かにわれわれの願望であるが、必ずしも容易にかないそうもない。

 成城は大体が一〇メートル以上の建物は建てられないことになっているので、住宅街としての環境は保たれている方だと思うが、肝心な成城学園は地価が高すぎて膨脹する需案を賄うなのに苦労をしているのではないか。しかし、成城学園とあるからには、他の土地へ引っ越すのもまゝならぬ、といったところではないか。