25.10.29

手話の可否について、も一つ釈然としないので、再び書く。

戦後の六三制発足時、GHQ(連合軍司令部)の指示で学校における手話教育は禁止になった。

それまで、もっぱら手話に頼っていた人々は勿論手話を行っていた。「名もなく、貧しく、美しく」という有名な映画では、耳の悪い燈台守夫妻の物語で手話が登場して、何故か涙ながらに見たことをよく思い出す。

私は、手話はとても正確に意思を伝えることが出来ない、口唇術(口話法)に一本化する必要があるのではないか、と常々思っていた。

特に強く意識するようになったのは、衆議院議員に立候補するようになってからであった。立会演説会では必ず同じ壇上に手話通訳者が立って、同時に会場に向って手話を行う。果して、自分の言わんとしている事が正確に伝わっているか気になり、難しいことを言うと手話ではうまく伝えられないのではないか、と思うので、言い方を手話しやすいように考えるようになる。といって、自分は手話が出来ないので、どういうふうにしゃべったらいいか気を使う。

そう言うことが嫌だから手話を制限し、子供達を教えるのは手話に限るように言うのではない。何とか、聴覚口話法で手話では伝えられないニュアンスのある言葉を伝えるようにできないか、と思ったからである。

手話を促進する国際条約も成立に向って(日本も既に署名、国会の批准待ち)いるというので、それの成立も急いで貰いたいが、本当はどうしても聴覚口話法をしっかりとおぼえるように教育して貰いたい、と思っている。