25・10・26
東西の古典詩の自由訳で、「私の長年の詩の耽読からおのずとと生れた遺珠である」述べている。
三十対の詩篇を原文と仏訳又は英訳と照し合せ、そこになるべく原詩と等価の日本語の詩句を見出そうとしたと言っている。
どうも詩集は昔からどっちかというと苦手で、ヴァレリー、リルケ、ワーズワースなど若い時に手当たり次第に読んだが、私には藤村、白秋などの詩集がずっとわかり易くていいような気がする。
25・10・26
東西の古典詩の自由訳で、「私の長年の詩の耽読からおのずとと生れた遺珠である」述べている。
三十対の詩篇を原文と仏訳又は英訳と照し合せ、そこになるべく原詩と等価の日本語の詩句を見出そうとしたと言っている。
どうも詩集は昔からどっちかというと苦手で、ヴァレリー、リルケ、ワーズワースなど若い時に手当たり次第に読んだが、私には藤村、白秋などの詩集がずっとわかり易くていいような気がする。