25・10・22

 もう外国のものを強いて求めて必要はないと思っているが、どうも靴だけは外国のものがいいような気がする、ここに名を一一挙げないが、外国で買った靴で三年もはきづめにしたものもあるが、型が崩れないので感心した。

 昭和三十年(一九五五年)に出張でアメリカからヨーロッパに回った時、イギリスに十日余り滞在していた。何だか、初めてみるロンドンは夏目漱石が留学した頃のロンドンと余り違っていない、のではないかと思った。

 深い霧で、ほんとに一〇メートルの先の人影もボンヤリするし、そんな曇った空気の中で、公園では何人もの人が演説をしている。

 変りがなくて、いい国だろうというのが第一印象であった。

 イギリス人はなかなか外の国の人を受け入れ難いが、一旦親しくなると本当に近所づき合いもよくなる、と出向で大使館に来ている友人などが言っていた。

 ちょっと汽車で三十分ぐらいの所に家を借りていた、その家にも何泊かしたが、テニスコートがついていた、ほんとにのびのびとした広い環境の中で呼吸をしているように感じた。

 ロンドンの街をあちこち一人で歩いて、チァーチという靴屋に行き一足の靴を買った。フランスやイタリーの靴のように軽くない、どっしりとしたものであった。

 どのくらいはいたろう。靴は変形もしなかった。ただ、難を言えば、ガッンしているだけに重かった。

 それから、ロンドンには何回も行ったが、今から五、六年前、予算委の仲間とイギリスに出張した時、思い出してチァーチを訪ねたら、驚くことに五十年前と全く同じ靴が並んでいるではないか。

 つい嬉しくなった、改めて一足同じ型の靴を買い求めた。店員に話をしたら、大へん㐂んだ。

 イギリスは自分の国はヨーロッパ大陸の国とは違う、という意義の強い人が多くて、未だにEUの経済通貨同盟には加盟していない。政府の人に尋ねれば、いずれ入ると笑って返答するが、実行されていない。

 やはり、イギリスはイギリスであって、単なるヨーロッパの一国ではない、と思う。