25・10・6

 ソ連抑留者の団体が二つに分かれていることが運動の力をそいでいるのではないか、という批判は前からあった。

 全国戦後強制抑留者補償要求推進協議会中央連合会が時の自民党政権から公的な組織として認められ、この連合会を基盤として強制抑留者協会(略して全抑協)なる財団法人を設立することになったので、斉藤六郎氏に申入れをして両団体の一本化を要請した。

 斉藤氏は議員会館の私の部屋に来て、一本化は賛成です。私(相沢)に会長になって、自分(斉藤)は幹事長をやらせて欲しいと言う。私は、それでは事実上団体の一本化にならないと思えるので、私も会長を辞めるから、貴方も会長を辞めて貰いたい、と言ったら、即答しないで、後日断って来たのである。

 ソ連で政治教育を受けたと聞いているが、斉藤氏の団体(同じ全抑協の略称を使っていた)は当時の野党と密接な連繋があり、運動方針はわれわれと違っていた。

 彼は会員から会費を集め、日本政府に補償責任ありとして訴訟を堤起し、最高裁まで持って行って負けたばかりでなく、労働証明書をソ連から貰うと称して一人数千円を徴したり、山形に記念館を作ったり、とにかく会員からの金集めに熱心であった。

 労働証明書など紙切れになって了っているが、その時集めた金を返したろうか。

 どうも職業としての運動家は困るのである。彼を支援する県の団体は山形他数ヶ所に過ぎなかったが、それらの人達も結局迷惑したのだと思う。

 彼の団体は一昨年解散をした。われわれももっと一本化を強行すべきであったし、世間に訴える運動を展開すべきであったと後悔しているが、運動はなお継続して行く決心である。

 運動の目標はソ連(現在はロシア連邦)に対する強制労働に対する補償要求である。