25・9・25

 私は、北海道に何とはなしに関心を持っていた。狭い日本の国土の中で唯一大きな夢を描けるのはここしかない、という気持であった。

 役人と議員で約六十年間にさあ六十ぺんは青函海峡を渡っているだろう。自民党の議員の間はずっと北海道開発特別委員会の委員で、委員長もやった。

 北海道は明治の昔、北海道開拓使が置かれていたが、戦後は北海道開発庁が置かれていた。二重行政とか、何とか言われていたが、北海道に内地以上の施策の重点を置くという方針の表われではないか、と考えていた。

 事実北海道の開発にはかなり力が注がれて来たと思う。だが、結果は、必ずしも望ましいものではなかった。各地域での開発計画が、主として民間企業の進出中止のために崩れて了ったからである。

 北海道の石炭産業がダメになった。多くの進出予定企業が計画を取り止めた。広大な土地をバックにする農業も行き詰った。北海道関係者の努力不足というよりも自然の成り行きであったであろう。ともあれ、開発計画は到る処で頓挫したと言っていい。

 発展を見越して行なわれたインフラ整備も実際問題として余り役にたってはいない。

 今、北海道の鉄道について整備不良がやかましく言われている。北海道のJRの責任である。逃げられるものではない。ただ一つ同情するとすれば、会社の経営状態からして充分な保安費用が出せなかったのではないか、ということである。言い訳にならない、と言えば、返す言葉もない。

 私の言いたいのは、北海道に今後も日本列島発展の片棒を担いで貰いたいのなら、も一度開発計画を錬り直して、必要な財政援助を国として考えるべきではないか、ということである。