もと「財界」編集長の大野誠治の好著である、山口信夫君とは戦後ソ連の収容所で同じ職場で働き、同じ列車に乗せられて復員してから、彼が一橋大学を卒業、旭化成株式会社に入社してからも親しく兄弟のようにつき合っていた仲であった、とくに彼が宮﨑輝社長の秘書役となってからはよく会った。飯を食い仕事の面でも忌憚のない意見を交していた。

 私よりいくつか年少であったが、大人の風格があり、決しておこることなく仕事の大局を椢み相手を説得するという力量のある人だった。

 平成二十二年九月一四日彼が亡くなって淋しい思いは増すばかりである。