25・9・8

 二〇二〇年のオリンピック開催地が日本時間で午前五時頃東京に決ったと今朝のニュースで知った。

 マドリード、イスタンブールと東京の何処になるか、と随分前から議論があったが、決まる時は一瞬。マドリードが一番有力という説もあったが、三番目にもならなかった。何故、日本が選ばれたか、放射能の被害が問題に採り上げられたにもかかわらず、これは決定打とはならなかった。大都市にあって、競技場など施設の配置が纏っているなどがとり挙げられていたようであるが、世界一安全な都市という点も有利だった、と思う。

 東京がオリンピックの会場として選択されたのは昭和十五年、二十九年及び今回で三回である、ご案内のとおり、昭和十五年の大会は紀元二六〇〇年に当り、その記念イヴェントと併せて盛大に開かれる予定であったが、大東亜戦争の発生によりダメになった。

 昭和三十九年の大会は、丁度、私が文部省担当の主計官の頃で、陸上競技場を始め、会場の整備に随分と東京都の便乗的要求にもつき合わさざるをえなかったことを思い出す。

 ともあれ、オリンピックがデフレからの脱却に大きな力を与えるとは思えないが、とにかく四年に一ペんの大イベントであり、それが景気回復の機となれば幸せだと思っている。