今日九月一日は関東大震災の日であった。朝からテレビがあちこちで記念番組を放送している。大正十二年は一九二三年、私の四才の年である。

 後で聞いた話だが、私ども一家は母の実家の神奈川県国府村生沢(いくさわ)に夏休みで来ており、丁度八月三十一日には汽車で自宅のある愛媛県大洲に向って出発していた。父がそこの中学校の英語の教師をしていた。

 大洲へ着いたら関東大震災で関東地方は壊滅だと言う。初めは信じられなかったという。そうだろう。

 いずれにしても、危機一髪で難を逃れたわけである。

 この地震で東京の半分は火事で焼矢し、十万人が死んだという。次の災難が大東亜戦争である。

 昭和二十三年八月十四日、正に終戦後満三年経ってソ連抑留から帰国し、舞鶴に上陸した私達を迎え入れた東京の街は、国破れて山河ありの惨状で、昔の栄光をとり戻すことはできないのではないか、と思えた。

 この二度の大災害から不死鳥のように立ち上った東京には、昔の姿は見られない。高層建築物が林立している都心に仕事場をもっている私達は大都会生活の良さを享受しているわけだが、今日関東大震災の記念日で震災直後の東京の街の姿を見せられるにつけ、感慨が深い。

 しかし、もし関東大震災も起らず、大東亜戦も起っていなければ、東京の街はどうなっていたろうか、としみじみと思う。