25・8・8
世の中緑で結ばれている、と思うことが多い。私と家内との接点は、家内の姉の夫、武田輝雄が一高、東大(法)で同期であった、ということであった。文甲三組のうち、武田は文三、私は文二でクラスも違ったし、寮の部屋で一諸になることもなかった。
大学を出て、お互いに高文の試験をパスして、武田は逓信省に私は大蔵省に入った。
私の長い主計局生活の最初が逓信担当の主査であったから、多少のかかわりがあったが、武田も私も大阪勤務になった頃から却って親しくなってきたのか、と思う。
武田は確か文書課長も永く、いろいろな法案の関係で党の族議員との接触が深く、赤坂あたりで一緒になることもあった。
酔えば八方破れみたいになる武田の歌はまことに天下一品、同じ歌は二度と唱えないようなオンチで、正に武田節として知られていた。本人はおかしいと思ってないところがおかしかった。
あの頃、赤坂で会った時、武田が明日いもうと(葉子のことをそう呼んでいた)の結婚話もあって、人を呼んでいるから出ないか、という。丁度大阪へ行く予定をしていたが、一度司葉子なる人に会ってみたいと思って、その会に出席したのが、葉子との縁の始まりとなった。
武田の家も夜よく行っては、何だ、彼だあるもので酒を御馳走になっていた。
葉子と結婚に至るまでに一番親身になって気を使ってくれたのは武田である。それは深く感謝している。も少し、生きて欲しかった。