25・8・4

 八月一日付読売の八面トップ記事にあるように物価目標(インフレ・ターゲット)の設定には当時の日銀が反対とのことで沙汰止みとなったことを忘れない。

 私は、当時(2003年)自民党の金融制度調査会会長をしていて、インフレターゲットの導入を主唱したが、福井日銀総裁が反対とあって実現されなかった。日銀の役員の中では岩田副総裁が賛成だということは当時からも承知している。

 福井総裁の反対の理由は、名目金利を抑えながら、期待インフレ率を上げることは可能か疑問がある。それにインフレが進み過ぎた場合に、これを抑制することが難しい、というようなものであった。

 私は、従来日銀は物価抑制を大きな使命をして来ているのだから、いざというときそれが出来ないというのは、おかしいではないと反論しておいた。

 当時は、インフレ・ターゲットの設定という考え方は経済界の理解も乏しくて、議論としても盛り上がりが欠けていたことも見送られた原因かもしれない。

 もっとも、物価の上昇率だけを議論するのは、いささか本末転倒の嫌いがあるので、目標は飽くまでも景気の上昇であり、それが売上げ、所得、賃銀の上昇というように連結して行きことにある筈である。