25・7・7

 選挙ほど勝ち負けのハッキリするものはない。1票で勝っても勝ちは勝ち、1票で負けても負けは負け。当り前だと言われるでしょうが。

 鳥取で国会議員をしていた頃、ある町の町長選挙で2人の候補が大接戦で、結局2415票対2413票の2票の差でA候補が当選した。納まらないのはB候補で、早速、訴訟を提起し、結局1票A候補の票がB候補のものと判定され、A・Bの得票は同数となり、法律によってくじ引きの結果B候補が当選ということになった。

 そこで納まらないのはA候補であったが、次の選挙で同じA・Bが争い、今度は町民の同情票を集めてB候補が目出たく町長となった。

 も11票の大事な、例を挙げる。隣りの島根県の知事選で、私の知人も候補に立った。彼とは、米子の空港でよく顔を合わせたが、願る元気、自信満々。相沢君、今度は絶対大丈夫だよ、と言う。私は信じていたが、結果は174票差で敗北してしまった。

 後日、私は慰めの会を開いたが、彼はあと八八票とったら、俺は今頃は知事になっていたのになァと流石に憮然として繰り返していた。

 そりゃそうだが、そう思ったなら、私と会った時も、もう一歩だな、とでも言ってくれれば、島根で100票や200票ぐらい集められたかも知れなかった。

 大体、選挙前に下馬評で、一歩リードか、など書かれたら数100票から数1000票損をする、と思わなければならない。選挙民としては当選確実かと言われる人に投票するのも、何となくムダな気がするものか。

 ついでにも一つ例を挙げる。米子市の市議の選挙に立候補したA君は、誰に聞いても落選必至との評番であった。市議定数30人で31名立候補者がいた。ところが、開票の結果、同情票を集めたのかAがトップ当選、本人もよくわからない票が入ったという。

 さて、次の選挙でもAは当選したが一番ビリ。定数の多い議員選では、似たようなことがあるらしい。

 ともあれ、1票は大事だと言うのは眞理である。