25・6・30

 いよいよ2020年のオリンピックを東京に誘致できるか、IOCの決定が俟たれる状況になってきた。他の候補都市について余計なコメントは差し控えるが、東京が当選するように祈っている。

 思い起せば紀元は2600年ということで、昭和15年にオリンピック東京開催が決定し、同時に万国博覧会を東京で開くことが決定していた。

 私の義理の従兄で当時日本になかった広告科をアメリカの大学で学び、就職先がなくてブラブラしていたのが、万博の事務局に採用された。と言って㐂んでいたが、大東亜戦勃発ですべてダメになったことも思い出す。幻のオリンピックに終ったのである。

 戦後、昭和39年の東京オリンピックの時。

 私は、主計局で文部省の予算を担当していた、代々木に陸上競技場や選手村などの施設、首都高速道などの整備に国として思い切った予算を注ぎ込んだことを思い出す。やはり、あゝいうイヴェントがあると、それを契機に懸案も片ずき、町の姿も変る、ということがあるものだ、と思った。

 あの時、創った国立競技場の性格をどうするのか、議論があった。文部省は本省直轄の部局にしたがっていたが、私は、特別法人化を主張して、結局、それで決定した。その方が活用し易いと思ったからである。

 今日の特別行政法人の先駆のような形であった。

 幻のオリンピックを入れて、今回が3度目である。

 首都高(山手環状線内)を全部地下に埋めたらというような構想も聞いている、とても今度のオリンピックをまでにはどうこうという話ではないが、東京の街の再建の1つのアイディアだと思う。

 石原知事がまだ現職の時、話したら、金がかかるなァ、と一言つぶやいた。