25・6・29
衆議院選挙区の1票の格差を改正するための0増5減法案は参議院でみなし否決となり、衆議院で3分の2以上の多数で再可決した。
5月の推計人口を基に試算すると、複数の選挙区でなお2倍を超えるという。立法府の対応は道半ば、といわれている。
1票の格差が2倍まではよくて例えば3倍はダメだという理屈もよくわからないが、地域性をどこまで尊重するか、という問題がありはしないか。いつも引っぱり出す例であるが、米国の上院は人口の格差など関係なく、50州とも1州2人が議員定数である。
それともう1つ気になるのは、日本がそもそも議員の定数が多すぎるとして、身を切るというような表現のもとこれを減らすことが飽くまでも絶対に良いことのように言われている、そのことである。
ここでは数字を並べないか、日本の国会議員の定数は列強に比べて決して多くはない、むしろ少な過ぎるくらいである。
それでも議員の数が多いというなら、日頃彼等の行動からみて、暇そうだとか、働らいていないとか、批判されるような状態であるのか、いうなら別であるが、多くの議員は決して暇をもて余すというような日頃の生活ではない。
たまに若い女性と晝日中からラブホテルを出入するような議員があると書かれたりするから何とも言えないが、あんな人はほんとに異例中の異例である、と思う。
民主主義は数である。多くの人が多く発言すればするほど、その声は世間に通るのである。小人数では、声も響かなくなる。
地域代表の発言力のある人が減れば、それは地域の利害に影響する。地方自治を言うが、地方自治、地方の利害について発言してくれる人を減らしておいて、地方の声を聞けと言うのも矛盾たしたことではないか。
今国会議員の議員定数を増やせとは言わないが、減らす必要は毛頭必要ない、と思う。小選挙区への分配の問題は別途議論すべきものだが、議員總数については、私は、そう思う。