25・6・21

 犬は可愛いものである。家内(葉子)が犬年のせいもあってか、とくに犬を可愛がっている。犬年の人の会、何とかいう会の熱心なメンバーであったり、軽井沢で捨て犬を世話する会の役員をしていたりする。

 私は、もともと余り犬とは縁はなく育ったが、葉子と結婚してからは犬と急に近くなったようである。

 その頃は、ロシア犬のボルゾイがいた。手脚を延ばせば2メートル余の大きな犬であった。道で出会った女の子が、手をひかれている母親に、「ママ、あれは犬?犬?」と尋ねた程の大きさであった。堂々として道を歩き、他の犬に出会ってもおおかた知らん顔をしているが、ある時、気に入らない相手なのか猛然と吠えるや脱免のごとく綱を曳っぱって走り出したのにはビックリした。肉が大好きで、宴会の折などひそかに食べ残しをもって帰って、食べさせていた。

 長い間である。いろいろな種類の犬を飼っていた。

 コリーやチンもいた。

 米子の家でも犬を飼っていた。もう名を忘れてしまったが、柴犬もいた。これは主人ひとりを大切にするというが、その通りで、私に大へんなついていた。夜はマンションで私の寝ている窓の外のヴェランダに必ず眠っていた。

 犬は、人間よりも短命である。だから、どんなに可愛がっても、そのうちに見送らざるをえなくなる。淋しいもので、その淋しさが嫌で、亡くなって5、年はもう飼うまいと思っていながら、また、何となく飼うようになる。

 シェットランドのいい犬もいた。葉子が東京につれて来たが、田舎育ちで都会の車に馴れていなかったのか、目の前で車にひかれて死んでしまった。

 そのあとが、イギリスから持って帰ったアプリコット・プードルの番い。成田で1ヶ月も検疫で待たされる、ということを知った。

 この犬は長生きで189年生きていた。人間で言えば90才近くではないか。

 そのあと暫らく途切れていたが、又、飼いだしたのは今のジャックラッセルの牡であって、名は私がつけたピッコロ、小さいというイタリー語であるが、いつに間にかピッコロよりピーコと呼ぶようになった。

 この犬も姿形はとても綺麗である。本当はも少し足が短かいものだそうだが、うちのジャックラッセルは足が長い。もう123年になる。

 小さい時、調教師をつけていたが、そのうち止めた。

 今は、夜の九時になるとポンポンと称して、もっぱら私がエサをやることにしている。小さいエサを10数ケ、空中に抛って飛びつかせてキャッチさせるのであるが、その前に必ず五へん、伏せをさせる。百発百中、空中でキャッチすることもある。

 忘れているが、時間になると、2階の私の書斎に登って来て、催促である。時間はおおむね正確で10分とはずれない。どうなっているのだろうか、と思う。腹時計が動いているのだろうか。

 今、私の家には去年正月生れた孫娘が毎週遊びに来ているが、さて、智恵はまだ犬の方があるのではないか、と皆いっている。

 とにかく、犬は動物というより、家族の一員と言えようか。