25・6・1
生家、祖父母、父母、出家(得度式、集英となる)瑞春院脱走と全くいつもと同じ材料で読ませる文才は大したものだ、と思っている。
銀座のクラブで知り合った。同じ大正8年の未年の生れ。家庭の状況も似たようだったし、家は同じ成城で近かったので、時に明るくなるまで酒を汲み交すこともあった。
お互いに好きな京都の夜を一緒にしたこがある。
相沢さん、役所を卒業したら、もう世の中のことを余りかかわらずに、軽井沢に家を建て、一緒にゴルフでもしましょうよ。軽井沢クラブに入るためには軽井沢に家を持たなければならないから、と不動産を紹介されて土地を買ったままで30年余りも経った。
彼は、軽井沢から小諸の近くに移り、執筆かたがた窯を構えて骨壷を焼いているという。
彼の訃報を聞いて、数日後、山の家を弔問に訪れた。
生前のまゝの書斎には愛用のメガネや万年筆など遺されていて。人なつこい、そして時に鋭い眼を思い浮べた。
諸行無常を思い知らされた。