25・6・3

 漱石の「三四郎」の一節に大学生の与次郎が「PITY IS AKIN TO LOVE」を「阿愛そうだが惚れたってことよ」と訳して先生に怒られた一節をよく思い出す。

 そこで、思うのは、対象を仔細に眺めて、本当に適切な判断を下すには、その対象に好悪の感情をもって予断を下してはならないことだと思う。

 人間関係においても然り。政治、経済、社会の一般現象についても然りだと思う。

 物事を冷静に判断するというのは、思ったより難しいことであって、感情が先に立っことがなかろうか。一歩常に対象より離れて物事をみることが何よりも必要だと思っている。

 世の中に絶対に良いものはない代り、絶対に悪いというものもない。人それぞれではないか。完全な人というものは有りえない、と思う。

 親切そうな人を警戒しなければならないか、冷たそうな人が案外心が暖かい人であったりする。