25・5・30

 20年余り大蔵省主計局で予算の査定を行っていた。なぜ、この予算が必要か、何時要るのか、いくら要るのか、つかみではなく積算内訳も必要である。

 凡百の要求項目のうち、本当に来年度の予算として計上する必要があるのか。

 悩み出すとキリがない話であって、1日数字を眺めていると、夜は頭に数字が限りなく踊って寝つけない。

 主計局に来ると、酒を飲まなかった人が飲めるようになり、飲む人は一層飲むようになるのは、一つはそのせいであろう。

 物の値段について日頃関心を持つようになる、物一つ買うにしても、質や量で変ってくる。自衛隊の食事の単価の査定には、築地など市場での魚や野菜の値段の動きを承知していたいし、公共事業費には土木、建築のコストを知ってきたいし、勉ぶべきことは山ほどある。

 一番大事なのは、世の中の動きを察知し、極めて常識をもって判断し、平静な感覚をもって、予算の必要度を判断することである。

 それに大事なのは、言うまでもなく相手省が曲がりなりにも納得する査定内容に、時に畿度かの折衝があっても、最後は了解しうるようにすることである。予算は切り捨て御免で、主計局が査定するように見えるが、それでは円滑な行政は進行されない。

 およそ、予算に全く関係のない行政は考えられないからである。