25.5.14


先生が先頃亡くなられたという。御冥福を祈ります。

実は私は御縁が薄く、先生にはどこかで名刺を交換したぐらいの記憶しかないが、お父様の河竹繁俊先生とは戦前、東大歌舞伎研究会に参加していた関係で、月一回はお目にかかって御指導いただいたのである。

太平洋戦争中のことであるが、私の親友に子供の頃から芝居を見て育ち、高校で同級として親しくなった頃、彼は歌舞伎座、東京劇場、新橋演舞場、明治座と新宿第一劇場とを毎月一回は必ず見るという程熱心であった。

彼に誘われて、歌舞伎座三階の梅席から一幕見で幸四郎の弁慶、菊五郎の義経、羽左衛門の富樫で勧進帳を見たのが、病みつきの始まりである。彼はかけ声がうまく、私も真似したこともあったが、あれはかける間合の大へん難しいものだと知った。セリフを知って、その切れ目に呼吸を整えてパッとかけなければ、全く間の抜けた者になって了う。

ともあれ、歌舞伎研究会に入ったのは、会員であれば、いくらか安く切符が手に入ったからである。

月一、研究会がある。夕飯後、学内の小部屋、先生の研究室であったかも知れない。そこで、最初に先生と一緒に「伊賀越乗掛合羽」の古写本を先生の解説づきで読んでいくことになった。古い木版の字は甚だ読むのに難儀をしてことを思い出す。繁俊先生はその頃助教授であったと思う。

大学一年の悪い成績に愕然として驚いた私は、研究会には出られなくなったが、安い切符を利用させて戴いていた。

黙阿弥という歌舞伎作者の直系の人達が立派な学者として代々引き継がれて行くことに何か歌舞伎役者の伝統にも似た不思議さを覚えるのは私一人ではあるまい。



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